2009年1月31日土曜日

yielding

友人と心身の不調のことを話していたとき、今の状況についての一つの答えが与えられた。できることをすべて成し、それでもどうにもならない時、抗うのを止め、敵の手に落ちて行く、ということ。
自分を救おうとする思いはアダムの習性。それを止めるのは、ある意味すごく不自然。でもそれも光が当てられるまで。

十字架に向かう主。ある時から羊のように、ただ敵の成すままにされて行った。敗北。十字架はその頂点。でも、その先に勝利がある。
鞭打たれ、十字架を背負ってゴルゴタを登り十字架につけられた主が私のうちにおられるという不思議。私も十字架を負い、その主と共にそれを追体験する。主は弱さの中で、痛み、葛藤、絶望、そのすべてを経験された。主は知っておられる。そして死にとどまる。主の勝利を着せられるまで。

すべてが主のご計画の中にある。主はすべてを見ておられ、絶妙なさじ加減で状況を治めておられる。私のことは私だけのことではなく、主のご計画の全体、主の御体に関わっている。一歩先もわからないけれど、ただ信頼して委ねる。すべてを栄光に導いてくださる方に。力が抜け、ホッとする瞬間。

身体の反応はまだ少しずつひどくなってきているけれど、心はもう大丈夫。主の御手に支えられている。ここを超えるのをただ楽しみにしていましょう。

交わりが与えられていることを心から主に感謝します。

0 件のコメント:

コメントを投稿