2009年2月26日木曜日

つらつらと

昨日から、呼吸の苦しさがなくなってる。感謝です。

今は声がまだ完全でないのと、緊張が少し。緊張は痛みから来る。結構痛みには鈍感なようで、感じるのは緊張が先。なぜ緊張してるの?あ、そういえば骨が痛い…そんな感じ。これも天気やら体の他のコンディションによって出たり引いたりしながら少~しずつ消えて行くのだろうと思う。

痛みもそうだし更年期障害のようなものもそうだけれど、すぐにはなくならないもの、長く付き合って行くものについては一喜一憂するのではなくて、それも楽しんでしまえば?と、昨日あたりからちらちらと考えているところです。楽しむまでいかなくても、客観的に見られるようになるにつれて、力を抜いて考えられるようになってくる。そうするといろいろ面白い。

痛みは神経に伝わると同時に精神にも伝わり、その反応として恐れ、緊張、不安などが現れる、という話を緩和ケアのセミナーで聞いた。これは体の反応であり、どうしようもないもの。それを捕まえる必要もない。でも今朝はちょっと考えてみた。恐れや緊張というものは、刑罰の名残りなのだろう。律法の下にあった時にはまさにリアリティーだったもの。それなら、取り除けない痛みによる緊張があるときは、そこから解放されたこと、主の購い、赦しを覚えるチャンス。主の恵みの栄光を思おう。日々是好日ですね。

(注:基本的に痛みはできるだけ早く取ってあげましょう。)


*   *
今朝はエペソ1章を読みました。主が成してくださったことの「確かさ」がハイライトでした。
「定めておられた」「証印をおされた」「与えられた」…そう、神が愛をもって。
私たちの側は、「はっきりと」見る必要があります。見れば見ただけ変化するもの。見たら必ず魅了され、夢中になっているうちに物事は変わっているでしょう。

ここにある「神の全能の力」は、この間書いたローマ8:11の御霊の力と同じ。

使徒の祈りを感謝します。その通りになりますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿