交わりって不思議です。そこにいる人たちの主との関係、そして、そこにはいなかったけれど主が繋いでくださっている人たちの主との関係もまた、その交わりの中にあります。その人の目が主を見ている、信仰を生きているという明らかな事実が、私たちの目をも主に向けてくれる。一つの交わりが、もう一つの交わりを祝福し、建て上げられた人に触れることで建て上げられる。兄弟姉妹というのは上下関係ではないけれど、いのちが流れる方向というのはあると思います。方向は年齢とか経験、肩書きなど関係ないし、いつも同じわけでもない。状況や状態で変わるし、同時に相互に流れることもありますね。 同じ主に触れているという喜びを共にできることは本当に嬉しいこと。その深さがまた、会うたびに違っています。
共有できた時間を主に感謝します。それとともに、さらに大きな交わり、主を真ん中にしたいのちの交わりの中に置いていただいていることを感謝します。
見よ、兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんとうしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。
それはひげに、アロンのひげに流れて、
その衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりる
ヘルモンの露にも似ている。
主がそこに
とこしえのいのちの祝福をめいじられたからである。
(詩篇133)
0 件のコメント:
コメントを投稿