
癒しが事柄ではなくてお方であるとき、何らかの癒しを経験したら、それは主ご自身を一つの形で得た(経験した、流れてきた)ということ。
主を医者のように見るなら、医者である主と私の間にはとっても距離がある。
癒される方として主と関わるのも同じようなもの。癒しを得たらお終い。
でも、主は私の中に常駐され、あらゆる必要を満たしてくださる。必要なものを与える、というよりは、ご自身がその必要なものになることで。
Do you get it?
私もまだある程度しかわかっていませんが。。。
昔いまし、今いまし、永久におられる方。
私の過去もキリスト。今生きることもキリスト。これから歩んで行く道のりも、目的地もキリスト。
私を満たし、あふれてくださる方。私を運んでくださる方。
「主の豊かさ」というとき、「豊かさ」は主の外にあるのではなくて、主ご自身。
私の内に留まっている平安。深い海の底のように、波も嵐もそこまでは届かない。
この平安は、主ご自身♪
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今日のお昼は沼津港のラーメン屋さんだそうです。
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