
真理が自分の内に染み込み、それをコンスタントに実体験できるまで、何と時間がかかることでしょう。アダムの性質、その上に宗教、敵の策略・・・それらすべてが、私たちを主の安息へ近づけないように強力に働いているようです。宗教に浸かっていた時間が長いほどに、その影響は大きい。自然にしていると知らぬ間に自分を責めたて、肉の努力に駆り立てられて行きます。平安から遠いところへ。
子供のようでありなさい。主はそう言われます。自分からも、身につけてきてしまったjunksからも目を離し、ただ主の御腕に走り、私たちのために用意されている安らぎの中に座っていたいと思います。
主の導きは確実。十字架へ向かおうとする者へのどんな妨げも、主の前では力がないようです。主はあらゆることを用いて、十字架へと、主ご自身へと、私たちが受け継ぐものの豊かさへと、一歩一歩私たちを引き寄せてくださいます。ここに至るまでの1つ1つの経過を自分を中心に振り返ると穴があったら入りたいばかりですが、一つの目的地に着いて主が描いておられたものを見るとき、すべてが整然と、美しく、完全な絵になっていることを知ります。
今の時点で未解決のこと、つらいこと、すっきりしないことも、すべてが御手の中にあってその完了形を主は見ておられる。御国にあって、主の中にあって、主の家族の中にあって、私たちは安全です。
掴み始めたことが心の中心に腰をおろし、存在の隅々にまで浸透して行きますように。すでに主に得られている、そして主を得ている安心感のうちに、これからさらにその過程を楽しむことにしましょう。
主の御心がこの地になりますように。主の安息が、世にあって主に飢え渇く一人一人に届きますように。
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