今朝、Dr.Lukeの日曜日のメッセージ「プレス・オン」を聞きました。私自身が今経験していることともダブり、多くの点でアーメンでした。
ここ2週間ほどに通ったことを通して、魂から力が抜かれてしまった、というのでしょうか、世への、また自分の体の命への執着が落ちてしまいました。今まで楽しみだったことや魅力的だったことからすっかり輝きが失せてしまったのは、単に体の力がなくなってしまったからではないと思います。ちらっ、ちらっと見せられている天の素晴らしさ、主の完全な安息の素晴らしさが、比較しようもないものだと益々わかってきたから。本当に、自分自身のためにはそっちのほうが遥かに良いのです。
世に留まるのは、聖徒たちのため、と言います。でもこれも、私が何かをすることではない、ということが良くわかります。私には何もできないのですから。ただ主を向いて淡々と与えられた日々を生きるとき、主は勝手にことを成してくださるに違いありません。
主が備えてくださったものをもっと良く見たい、知りたいです。それはキリストご自身。パウロのように、「走る」という言葉を用いる元気が今はないけれど、結局は同じことなのでしょう。
事あるごとに死というものに向き合わされますが、こうしてみるとやはりこれは特権でしょうね。
色んなことが、今までとはとても違ってきています。ここから進んで行くこと…天の引き寄せる魅力と主から与えられる推進力だけが頼りです。
Lukeさんが言う「人間生活、もういいや」という感覚はよくわかります。私もずっとそんなどこか醒めきった気分がいつもあります。
返信削除しかし、イエスが私たちと同じ肉体を持たれたことの意味を味わうこと、「信仰によって」イエスを知ることは、逆に地上の特権だと思っています。
エノクのように天に移されないのは、主の荷を負いつつ地上に生きることに価値があるからです。
イエスがあれほどの死を味わってくださったのだから、もはや無駄な痛みや苦しみはないのだと信じています。
Saltさん、ありがとうございます。
返信削除そう、主を知るために与えられる1日1日。苦しいのはイヤだし(笑)、今はまだちょっと途方に暮れている感じですが、これから主は私を通してどう生きてくださるのだろう、と思い巡らしているところです。Saltさんが言われる「特権」を味わって行きたいですね。
食べられるもの、飲めるものを探しつつ、地上で生きる努力をしておりますよ^^