クリスチャンが死に勝利する3つの方法:
(1)私達の働きが終わるまでは死ぬことはないと信頼することによって
(2)死が訪れるとしても、死のとげは抜かれてしまったと知るゆえに、死に対する恐れを全く持たないことによって
(3)主が戻られる時には取り上げられるのだから、私達は完全に死から解放されると信じることによって
働きが終わるまで死を見ないということ
クリスチャンが自分の働きが終わり、もはや留まりなさいという主の要求がないと単純にわかるのでないかぎり、その人は何としても死に抵抗すべきです。もし死の兆候がすでの体に現れていたとしても、まだ働きが終わっていないなら、彼は積極的に死とその兆候に抵抗すべきです。彼が抵抗したことに対して主が働いてくださることを信じなければなりません。彼にはまだ成すべきことがあるからです。それゆえ、任命された働きから解雇されるまでは、身体的に危険な兆候があったとしても、私達は安心して主を信頼することができます。主と協力し死に抵抗することで、私達は即座に主が主のいのちによって死を飲み込む働きを見ることになるでしょう。
(ウォッチマン・ニー著 「霊の人」より 私訳)
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心に大きなアーメンがあります。
ありがとう
返信削除死に向き合ってどうこれから祈ればよいか、
焦点が定まりました。
大声でアーメン!!!元気がでてきましたよ!
私も今まで、どういうアティチュードでいるべきか今ひとつクリアでなかったので、これはとても感謝でした。
返信削除御言葉にある主の思いを、もっと深く知りたいです。
またシェアしますね。
Kojiです
返信削除自分も英文の方で少しずつ「霊の人」を読もうと思っていたところでタイムリーでした。
はっきり、すっきりしますね。この説明。
「またシェアします」
返信削除このこと、
今この最後の時代、御からだの中で
極めて大きな意味を持つと信じています。
Kojiさんもいかがですか。
個人的には、これまでは準備の期間で、これからが本番、私はまだほとんど何もしていない、という思いがあります。普通の日常を送れなくなるような脅かし(症状や薬などによる)があると、やはりどうも納得がいかない。「それに屈するのが従順かしら…」と考え始めるとき、それは敵の思う壺なのでしょう。
返信削除これまで何人かの友人達からも「まだこれからです。」という励ましをいただいてきました。ここで、それが主の思いであるという確証を得ています。
御心ではない死に対しては、静かに、しかし断固として拒否すれば良い。あとは主の出番。内側にある御霊の促しも「単なる私の願い」などど却下してはいけませんね。