2009年5月19日火曜日

反回神経麻痺のお話

反回神経は迷走神経のひとつで、脳から首のところで枝分かれして下の方へ行き、左側は大動脈弓を前から後ろに回り込んで上に向かい、右側は右鎖骨下動脈を前から後ろに回り込んで上に向かう。上方に向かった反回神経は、両方とも甲状腺の裏側を通って喉頭の声帯を動かす筋肉に至る。(はてなキーワード)(図はFlickrより)

これが麻痺すると、声帯と飲み込みに支障が出るのですが、その両方の手術によって声が出るようになり、飲みこみも楽になるとのこと。だけど元に戻るわけではなく、声を出すときの疲れや誤飲は解決しないそう。(今一番の問題は食べることがけっこう苦痛なこと。頑張って食べつつ手術ができる時期を待っています。)

主が細部に至るまで素晴らしく創造してくださった人間の体。麻痺してしまった1本の神経の働きを元通りにすることは人にはできない。残念だけど何だかウフフ…であります。 

4 件のコメント:

  1. 愛知県のサッチャン2009年5月19日 11:53

    >残念だけど・・ウフフ

    そのウフフ感伝わってきます(笑´∀`)

    私の腎臓も日々、ますます死んでいっています。死んでしまった機能はもう二度と元には戻りませんが、ウフフなのです。

     

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  2. 主は素晴らしい!
    主の創造も素晴らしい!!

    できたら創造された方に治していただきたい…それもまた願うわけです。

    しかし、完全な癒しはすでに私たちのもの。
    ハレルヤ!

    Bless your day in His name

    (主の目の前にはいつも、過去も現在も将来もある。ということは、完全に癒された私たちが主の前に今いるということ。頭で考えてもわかりませんが…主よ、あなたの癒しを感謝します。)

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  3. 愛知県のサッチャン2009年5月19日 15:19

    アーメン、アーメン!!

    >完全に癒された私たちが主の前に今いるということ

    なんということでしょう!この不完全な欠けだらけな体を肉の目で私たちは見ていますが、御子と一つとならされた完全な姿をご覧下さっているとは。

    そして、この世にあってそれを味わう恵みさえも主は与えてくださる。

     「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」
     という御言葉を見つめ、父が叫んだように
    「信じます。不信仰な私をお助けください。」 と、ただ主を待ち望み、憐れみ深い主を仰ぎます。


    「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」
      第二コリント4:11

     イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されますように!!

    そして私たちの苦しみさえも、無駄になることはないことを知って喜びます。
     
     「芋虫は十字架に括り付けられたかのように、木に張り付いたサナギのなかでもがき苦しむが、この苦しみが翼に力を与えて新生命に備えさせる。同じように、わが子らも地上にあって霊的戦いに苦しみ解放の時をため息とともに待ち焦がれるが、十字架を負うなかでわたしから力を与えられ、終りなき生命に対して完全に準備する。」サンダーシング
     
     「霊の初穂を持っている者たち自身、すなわち私たち自身も、子とされること、すなわち、私たちの体の購いを待望しながら、自分自身のうちでうめいている。」
             ローマ 8:23

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  4. 今の自分と新しい体をいただいた自分。そして、その間にあるすべての日々、喜びも苦しみも主と共にあること、感謝です。

    サンダーシングの本が今日届き、読み始めましたよ。

    必死に求めていた平安と喜びを主ご自身にお会いしていただき、それは決して尽きることがなかったこと。主ご自身から、その足元で教えていただく素晴らしさ。自らの命を惜しまず主に仕え続けた生涯… すごく新鮮に迫ってきます。もっと主とゆっくり時間を過ごしたい、そう思わされています。

    例のプレミアのかかった本(?)はまだ手に入らないけど、彼が触れた主を少しずつ味わいたいと思っているところです。

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