
十字架に行ったり来たりの日々ですが、十字架の死から出てしまったらまた戻ればよい、と、こうしてだんだん死にとどまっている時間が長くなって行くのかな。
今朝はまた、これまでの大変さが何だったのか、何のためだったのかが別の角度から見せられ、御体の中で自分が置かれている位置を少し理解するに至りました。主にあって無駄なものはない…無駄どころか、困難の一つ一つが主の目的を成し遂げるため、十字架によって私を準備するために用いられてきたことがわかります。主は本当に真実。
主のご目的が何であれ、そして起こっていることが理解できなくても、すべきことはただ、主に向くこと。あとは主がすべて成してくださいますね。一番厄介なのは、やはり人の愛かもしれない。Sugarさんが書いてくださっているとおり、主はそれをすべて十字架へ持って行かれた。神の愛と交換されることがなければ、永遠の実はならない。自分も含めて人に心を置いていればすべてを失い、主に心を置いていればすべてを得ることになるでしょう。
自由と浮遊感がたまらなく気持ち良い今日この頃です。
十字架の歩みを熱心に求めておられる方たちに、主の特別な顧みがありますように。主がその願いに応えてくださいますように。
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