目が少しずつ開かれるにつれ、自分を守る必要から解放され、生きることがとても楽になってきている。自分を握り締め、大変だったここ数年を振り返っては苦笑い… 本当につまらないことに、これまでどれほど心も体も消耗させてきたことか…
思い煩いは感謝とともに祈りに変換し、とにかく積極的に祈るようになってきた。主が十字架で勝ち取ってくださったものの素晴らしさを知るほどに、心にある小さな悩みから解放されてゆく。
主が見ている世界、主が見ている自分…主の思いの中にもっともっと入って行きたい。さらに自分から解放され、主が願われることを願い、主が愛されるものを愛したい。
御心の祈りは必ず成る。時と方法は主に任せて。
これまでの祈り、願いに、主は一つ一つ応えてくださっている。私が望みを失いそうになっていたものや、忘れてしまっていたものにさえ。主は時間をかけられる。こちらの許容量を配慮しつつ、じっくりと。
あることについては、望みが消えうせそうにまでなった時に、それまで心の深いところで、それもright timingで十字架を教え準備を進めておられた主が立ち上がってくださった。これは私だけの経験ではなかったかもしれない。信仰の試練。信仰のチャレンジ。それに、内におられる主のいのちが応えられる。自分ではないものが現れる。そして味わう勝利。この経験はこれからの信仰の歩みにおいて、大きな励ましとなってゆくと思う。
さらに前進は続くけれど、収穫の時期に入ってきているのを感じる。ステージが変わった、と。
御言葉は真実。御霊の導きは確実。
主のいのちは素晴らしい!
こんな夢中になりがいのあるものが他にあるでしょうか^^
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