2009年8月20日木曜日

信仰と体の症状

昨日の夜ネットで検索していて、自分の症状が自律神経失調症ではなくて、緊張型頭痛であるらしいことがわかった。
詳細は書かないけれど、このことで今の自分の問題が見えた。自分の精神的なパターンが体に負担をかけているというのは、健やかさを願ってくださっている主の御心とは違うと思う。そして体の故障は、ある場合は自分自身への警告。

気付いたのは、十字架が律法のようになってしまっていたこと。自分を自分で十字架へ持っていくようにいつも自分を見張っていたこと。これは変な真面目さによって落ちて行く罠のよう。
ここで、鍵はやはり「いのち」、かな。主のいのちに任せること。
良い「いいかげんさ」がとっても必要なんだと思う(聖なるいいかげんさ^^)。
自分を見張ることをやめましょう。主に委ね、任せていればよいのです。

「どうか必要なとき、あなたが私に十字架を指し示してください。十字架によって自分を救うために自分を見張ることをやめ、自分を手放して、いのちを生きます。」

これ自体が十字架。うちなるいのちを信頼しよう!!
もっともっと自由になれるぞ^^

4 件のコメント:

  1. 愛知県のさっちゃん2009年8月20日 8:55

    十字架へと主が連れて行ってくださる、そこに安息することは大きいですね。

     しかし私の古い人の痕跡が知らず知らずの内に頭をもたげてくるんですよね。

    古い習慣、古い生き方に私たちはなんとなびきやすい者でしょう。

    「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

    私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します」

    本当にイエスキリストのゆえに感謝します!

    ただ「イエスキリストのゆえに」このお方への信頼の内に座り、ただ主を仰ぐ。主は私に必要なすべてのことを成し遂げてくださる!

    それ以外は知らなくてもいいですね^^

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  2. 「ただ「イエスキリストのゆえに」このお方への信頼の内に座り、ただ主を仰ぐ。主は私に必要なすべてのことを成し遂げてくださる!

    それ以外は知らなくてもいいですね^^」

    大きなアーメン!です。

    この、警告を発してくれる体。主の創造はまた素晴らしいですね。色んなサインが十字架を指してくれます。

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  3. 病み、老い、衰えていくこのからだは、もっとも重要な教会のモデルですね。

    そして、男女、特に夫婦と親子の関係。

    いろいろと考えさせられます。でも、あんまり考えちゃ駄目なんですよね。

    楽しく、美しく、生きましょう。やがて、からだは必ず贖われるんですから。

    霊的な優先順位を正せば、モデルは動きます。

    私が動けば影が動くように。そして、光を見ていれば、影は見なくて済むのです。

    ことばだと、簡単でかっこいいけど、なかなかそういうわけにはいきませんよね。

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  4. おっしゃること、よくわかります。
    優先順位をただせば、主の素晴らしさ、主の成してくださったことの素晴らしさに圧倒されます。

    昨日はSaltさんやLukeさんの自由を理解できた画期的な日でした(笑

    頭と体はひとつ。
    頭から流れてくるものにただ頼って、野の花、空の鳥のように生きられたらいいね。

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