2009年8月28日金曜日

網状結合


手術を1回したけれど、声の状態、喉の状態はあまり改善したとは言えない。残念ながら。ちょっとは出るようになったかも、という程度。
でも今、こういう状態であることの中に感じている主のメッセージがある。それは、「あなたは語らなくても大丈夫。」というもの。

主の御体にあって主の目的が果たされるのに、御体のどの部分が用いられても同じこと。自分が何かを成すことにアイデンティティーを置いていたころはとても苦しかった。そんなものはあっという間に脅かされるから。でも今、交わりの中で起こっていることを見たり聞いたりする中で、御体がうまく機能していることを感じるとき、とても大きな喜びを感じる。日々の関わりの中で、私が伝えたかったことを他の人が伝えている。私が成したかったことを、もっと相応しい立場にある人が成している。それが、自分がしたのと同じように嬉しい。いや、もっと嬉しかったりする。御体の一つを実感として感じ始めている。

こうなると、もはや自分の何かを守る必要もない。すごく楽になった。誰を通してでも、主の目的が成し遂げられれば良い…それが、頭の理解ではなくなった。

この変化はどこで起こったのだろう。何れにしても、声が十分に出ないことがそれを知る助けになったことは確か。やはり主が許される状況に無駄なものはないのだと思う。

もう一つの大事なことは、それぞれが様々な状況を経る中で起こった霊的成長を土台として、交わりが成長してきたこと。そこに「この方たちは(主・真理・主の方法が)わかっている。」という相互の信頼関係が立て上げられてきている。それぞれが異なる場所、異なる状況の中で学んできたことは同じお方から学んでいる一つのことであり、また同じ目的のために心を砕いていることが良くわかり、そこに大きな安心感がある。

主にある網状結合の成長。主のオーケストレーションのもとに、時間をかけ、紆余曲折を経ながら御体が成長し機能していること、そして交わりが知識の一致に向かっているのを見せられるのは、何とも嬉しいこと。
ここで、栄光は頭である主にしかないことは明らか。

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