2009年8月21日金曜日

高き所に


声が出せるようになったので、さっそく一週間ほど前に退院されたW姉妹に電話をしてみました。今日は気分が良いということで、グッドタイミング。
副作用を心配した経口抗がん剤を飲み始めておられたけれど、今のところ副作用はないとのこと。そのことも含め、御座にあって御言葉をもって欲しいものを主にガンガン求めておられます。私たちは主と共に天にいて、敵はすでに足の下。私たちが害を受ける必要なんてない、と。体の不調などで感情は不安定にもなるけれど、それは古いもの。すでに過ぎ去ったもの。御言葉だけが真実。あまり求めないことは不従順。欲しいものはそのままどんどん求めることにした、と。

とても励まされました。主がどんなに私たちを恵もうとして待っておられるかをもう一度思いました。主が私たちのために良きものをすでに用意しておられ、それはすべて私たちのものであり、あとはただ信仰と共に主に求め、その実際を味わうだけ。それは主の栄光であり、私たちの喜び。 私たちの喜びは、御父の喜びです。

一歩先を歩いておられる友人の言葉にはいつも励まされ、また飢え渇きを触発されます。私もすぐに祈りました。「私もその位置にいつもしっかり立っていたいです。」と。そしてまた、自分のためにも欲しいものを求め始めました。

主が与えたいものと私たちが欲しいものが同じであれば、必ず与えられるのです。御心を祈れば、必ず応えられます。求めないでどうするのでしょう。約束の地の良きものを味わってゆく秘訣はこれ:十字架をとおして与えられる信仰による祈り。これは結局主ご自身の祈りであるのだと思います。主のいのちから流れる祈り。私たちは主の御体なのだから、主のための祈りでもあります。遠慮する必要など何もありません。
私たちの体は聖霊の宮。その宮が健やかであることを主が願わないでしょうか。自分を主に明け渡した以上、体は主のもの。だからその健やかさもまた主のため。 主への求めは今の自分の状況の中で鍛えられ、求める内容は主の促しとともに拡大してゆくでしょう。
信仰を与えてくださるのは主です。ただそれを頼ればオッケー。 求めているのが主であれば、事は一歩一歩確実に進みます。十字架へ。そして、その向こうへ。

高い所に座ります。敵が嘘をもってそれと違うことを主張してぐらついても、またすぐにそこに戻ります。主が私のために得てくださった私の場所に留まります。 そして、主が得てくださった勝利を大いに味わいます。

考えれば考えるほど、これはすごいことです。*^^*

5 件のコメント:

  1. 愛知県のさっちゃん2009年8月21日 18:18

    読んでいてとても励まされました。

    >十字架をとおして与えられる信仰による祈り。

    アーメンです

    深い信頼の中で求める祈り、御父の喜びが伝わってきてうれしくなってしまいました。
    o(*^▽^*)o~♪

    感謝します

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  2. 主がW姉妹をまた先へ導かれたことを見せられ、とても嬉しくなりました。

    勝利の中を歩む証は尊いね。
    私たちにとっても大きな励まし。

    ハレルヤ!です。

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  3. これで、「毒を飲んでも死なない」証は3人目。そのうち2人は抗がん剤でしたね。

    たとえ火の中にいても、火は私たちに燃え移らない。

    御言葉どおりになるように、主に大胆に求めよう。

    私たちのうちにおられる御霊が、主を死人のうちより甦らせたその力を持って、私たちの細胞の一つ一つにあなたのいのちを与え、死ぬべき体をも生かしてくださいますように。

    癒しであるお方が私たちを満たし、その癒しが見える形で現れますように。

    私たちの幸いと健やかさが魂から体にまで及び、人が見てあなたへの飢え渇きを覚えますように。

    私たちの交わりを通して、御父が私たちを愛してくださったという証が、世に届きますように。

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  4. 愛知県のさっちゃん2009年8月21日 23:23

    本当に主は真実な方

    7倍熱くされた火でさえも、私たちに燃えつくことはありませんね!

    これは世の考えを超えていること

    しかし、主にあってどんなことでも可能であることを知らされた驚き。

    それは主の側で全くなされた。

    私たちが食するご馳走はすでに食卓に並んでいるのですから、後は信仰の手を伸ばし、喜びの内に、リラックスして食べる、なんと素晴らしいことでしょう。
    私たちのために主が備えてくださったものに手を伸ばさないなんて、なんと主を悲しませることでしょう。

    小さな子供が、母の作った手料理に手を伸ばし一生懸命に頬張る。「おいしいね、お母さん」
    と、そのたった一言に、母の満足がある。
    母の嬉しそうな顔を見て、子の内に満足が広がる。

    そんな単純さの中に、深い喜びあるということが、とても心躍るのです。

    さぁ~一緒に食べましょ!まだ私たちは食べ始めたばかりなのだから!!

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  5. >さぁ~一緒に食べましょ!まだ私たちは食べ始めたばかりなのだから!!

    アーメンです!^^

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