2009年8月11日火曜日

don't worry, be happy

あのことも、このことも、何も書かないうちに日が過ぎていますが…少しだけ書き留めておこう…と。

おとといのLukeさんのメッセージで、私たちはキリストのうちにあって天の御座にいるということが語られました。頭では知っている真理。最近あまり思いの中になかったと思う。十字架の経験によって、視界が良くなったということは意識していたけれど。
メッセージを聞いていて、すべてはすでに与えられており、信じて願えばすべて実際に自分のものとして味わえることが、この「天に在ること」と繋がりました。最高の地位に主と共にいるという意味。敵や状況の支配の下にいるのではなく、すべてを支配する位置にいること。
主に中にあってすべては私たちのもの。主と共に願うことはすべて成る。主の思いを共有し、願うことは皆、応えられる。そのことがさらにクリアになり、何とも言えない幸いな気持ちと開放感を味わっています。

これまで事あるごとに顔を出してきた恐れ、自分の存在意義が脅かされるという恐れがありました。これは自分自身を苦しめてきた最後の砦だったかもしれません。まだまだ自分を守ろうとしていることに薄々は気付いていたけれど、今、ここでそれを下ろすという快感を味わっています。自分を守る必要なんかないことが、深いところでわかりました。静かな喜びと感謝が溢れてきます。

私たちがどんなに幸いなところに置かれたか。すでにどんなに豊かか。それが見えないゆえに苦しい。でも主に向いていれば、少しずつ、少しずつ覆いが取れてきます。主がどんなお方か、私たちに何を願っておられるか、何を与えてくださったかが見えてきます。
「信じます」と言わなくても信仰は沸いており、働いています。私が喜んでいるとき、主も喜んでおられるのがわかります。

主の恵みを感謝します。主をほめたたえます。主の御業をたたえます。
主が備えてくださったものを十分に味わうことができますように。それは主の栄光であり、私たちの喜びです。

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