多くのクリスチャンの歩みが、十字架のところで止まってしまい、復活の歩みに至らない。
コリンは、「十字架でイエスは何を成し遂げられたか。」と質問して「罪の赦し」という答えが返ってくると、「それは違う。十字架を通してイエスはいのちと御霊を与えられた。」と言う、と。
これが鍵。罪の赦しのみの理解では、その先はない。
神は主の十字架を通して、私たちに主のいのちと御霊を与えてくださった。
私たちは死に、主のいのちで生きるものとされた。
何て単純な真理。
そして、ここから宗教が入ると、このシンプルな真理が複雑怪奇なものになってゆく。主が代わって生きてくださるのが目的だったのに、人が救いを、そして主のご計画を完成させようとする。
長年宗教の中にいたクリスチャンが、この単純な真理を真に理解することの何と難しいこと!
新しく主に出会った人をボックスの中に入れるなかれ。せっかく始まったいのちの歩みが頓挫してしまう可能性が大きいから。
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