2009年9月24日木曜日

What do you think you know?

新横浜でホテルを探し回っていた時のことを、今、興味深く思い返しています。
途方に暮れつつ、息も苦しくてぜいぜい言いながら、主には「なぜこういうことになるのでしょう…」と率直に心のままを伝えつつ… でもそんな中で、状況がどうであれ、そしてどうなろうとも、主の絶大な愛は変わらずに注がれている、という深い意識が心の奥にありました。これは甘いです。体は苦しいのですが。

最近、ある東の姉妹との交わりの中で話していたことでした。私たちが主に心の中を何も加工せずすべてそのまま主に渡すとき、主の愛が流れ込んでくる。そして、主の愛をさらに知ることを求め始めていました。そこに導かれていた。その流れの中にいたわけです。

それまでも、体のことでは、もちろん生きたい、元気になりたいと正直に願いながらも、どうなっても大丈夫、という暖かい感覚がありました。今回の経験も原則は同じ。主の愛が注がれるポイント、主が喜ばれるポイントがわかってきた気がします。

主の知恵による緻密なご計画。それを私たちの側から理解するのは不可能です。困難や苦しみ、悲しみがなぜ起こるのか、私たちは理解しているつもりになる必要もない。だから、「わだかまりをすべてわたしに出せ。」という主の言葉。私たちにはわからないのだから。

心を人の力で抑えることも忍耐することもせず、赤ちゃんのように、ただそのままを主にさらけ出す。これは信頼の中でできること。そしてその結果、心の中に主の愛が注がれます。主が望んでおられることが、また少しクリアに見えてきました。

主には私たちの心の中を含め、すべてが見えているわけです。わかっている上で、すべての事を進めておられる。主は私たちの思いをはるかに越えています。ヨブですね。「あなたは何をわかっていると思っているのか!」

主がすべてになること。これはやはり少しずつ開かれてくる奥義。
彼が神です。ただ主の前にひれ伏します。

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