2008年12月23日火曜日

霊と魂の分離(2)

魂の性質は、自己保存欲求と自己主張欲求です。そして魂が主体であるときには私たちの内面は不安定となります。魂を救おうとすれば失います。救おうとしないとき、それを得ます。これが十字架です。自分を自分で何とかしようとしないこと-自己放棄です。私たちの神は恵みと憐れみに満ち真実な方です。私たちが自己放棄するとき、この神が私たちを支えて下さるのです。人から誤解されるとき、人から拒否されるとき、私たちは何とか人に理解してもらおうとか、人に受け入れてもらおうと努めます。しかししばしばそのような繕いによって、さらに問題をこじらせるのです。一切そのような努力をする必要はありません。神が知っていて下さり、神が受け入れて下さっているからです。この魂の習性から解放される必要があります。ここに働くのが十字架です。十字架が働くとき、だんだん魂の自己保存と自己主張がうっとおしくなります。人の誤解を解くとか、人に理解してもらうことが面倒になるのです。すべてのことをいい意味で放って置くことができるようになります。このとき人の思惑や人の評価によってアップダウンすることがなくなります。自分で魂を救おうとしないとき、霊が生きるようになります。魂の無駄な努力と消耗から解放された霊は、神の御座の前で御臨在をエンジョイするのです。御臨在をエンジョイすれば、人の評価などはどうでも良くなります。こうして魂の力が抜けるとき、人は自然体でリラックスし、霊はまったき自由にあって、キリストをエンジョイすることができるのです。

2004.04.18 by Lukeさん
霊と魂の分離(2)
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