肉(flesh)はうちに住む罪(Sin)と神から独立した自己(Self)からなります。私たちの個々の罪々(sins)を犯させるのはこの罪(Sin)です。罪に対してはキリストの十字架でキリストと共に古い私が死ぬことにより、すでに処理済です。しかし神から独立した自己を処理することは現在の私の責任です。私たちには罪に自らの体をゆだねない責任があります。これは魂を霊から独立させないこと、特に思いを霊に服させることによります。同時に霊と魂が切り分けられる必要があります。今日、霊と魂が混同されています。教会の中でのすべての問題はこの混同によります。霊と魂が切り分けられるときには苦難が必要です。魂が苦しむとき、御霊による取り扱いを受け、魂のパワーは消滅します。このとき霊のパワーが代わって流れ込むようになるのです。霊と魂が分離されるとき、魂の苦悩がどのようなものであれ、霊は神の臨在にあってくつろぎ、内側に広いスペースが常に存在するようになります。ここでは自由に息ができ、解放され、安堵し、神の御臨在を享受することができるのです。このような内なる空間は、霊と魂が分離されることにより生じます。そして苦しむことから逃げようとしてはなりません。腹をくくることです。魂を救おうとすれば失うのです。むしろ救おうとしないことによって、私たちはまことの魂の大牧者によって、魂の救いを得るのです。覚悟を決めてください。
2004.04.11
霊と魂の分離(1)
メッセージ
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