主に癒していただくことと、主を私の癒しとすることとは、全く別のことです。前者は事柄であるのに対し、後者は「お方」です。
私たちが持つ癒しの理解は一体どのようなものでしょう。殆どの人にとって、癒しとは除去することです。しかしそうではありません。癒しとは除去などでは全くなく、そこに「どなたか」を持つことです。それは弱さの不在ではなく、「力であるお方」の存在です。
(from Christ the Sum of all Spiritual Things p66-67 Wachman Nee)
ローマ8:11はこういう意味なんですね。
これはキリストがすべてであることの一つの面にすぎません。「癒しであるお方」と病との共存、「愛である方」と愛のなさの共存…私たちの中に主が増加することによって、問題は問題でなくなります。
水かさが豊かに増した川が、舟を悠々と運んで行くでしょう。
聖歌597 沖へいでよ
返信削除の賛美を思い出しています。
A.Bシンプソンが作詞していますね。
オリーブガーデンにもそのメッセージがあります。
問題があることがもはや問題ではなくなったいる、なんという恵みでしょう。
むしろその問題は、主の素晴らしさを知ることができる舞台でもあるのですから。
十字架を通ってますます主の豊かさの深みに入ってゆきましょう!
思わず、ほこりをかぶった聖歌を出してきました(笑
返信削除こんな素晴らしい聖歌があったんですね。
主を今までよりもう少し知ることで、日常が違う色を帯びてきますね。
主ご自身がすべてであることを、ますます見ることができますように。