2009年5月14日木曜日

memo (十字架の度合)


神が私たちを用いることができるようになる前に、私たちはこうしたいっさいの自己のいのちから解放されなければなりません。神が満足しておられ、私たちが神の御旨の道にある限り、人々が何を考え、何を言い、何をしようとも、少しも気にならないという所にまで、私たちは達しなければなりません。

 これが平安の道であり、勝利の道です。しかし私たちは、「私」が屠られなければならない死の領域に下らなければなりません。キリストが復活の力の中で啓示されうるのは、「私」が十字架につけられるこの度合いによります。

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あなたは得るために失う用意があるでしょうか?永遠のもののために一時的なものを、永続するもののために移ろいゆくものを、天的なもののために地的なものを、究極的栄光のために現在の栄光を、失う用意はあるでしょうか?これがすべてを持つ道です。今、キリストは御父の手から永遠の富を受けておられます。そして、十字架による私たちの彼との結合により、今の生活も無限に豊かになり、言い尽くせないほど満ち満ちたものになります。
 

 私たちが自分の宝を塵の中に置く時、その見返りは途方もありません。私たちは「小川の石ころの代わりにオフィルの金」を得、全能者が私たちの宝になります。

(オースチン・スパークス著 「十字架の三つの法則」より)

2 件のコメント:

  1. 愛知県のサッチャン2009年5月14日 10:13

    あのね、新幹線でそちらまで行くのに、障害者割引が使えることをすっかり忘れておりました。

     通常の半額で行けそうです♪
     富士山が近くなってきたぞ~(笑´∀`)

     ワクワクしてきました。

     主人が許可してくれたら、飛んで行きますね!!!

     イエェイ~!!!

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  2. 半額ってすごい!

    ますます元気になってお待ちしま~す^^
    芝桜が無理なら近場+わが家へ。

    楽しみにしてますね!!!

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