
敵は恐れをもって支配する。
喜びの麻痺、緊張、不信仰、覆い…
恐れを締め出すのは神の全き愛。
その大きな愛は海のよう。
恐れ、不安…そのすべてを飲み込み
心はその大きな愛で溶かされてゆく。
平安の支配。永遠の、揺り動かない岩。
* *
死に留まることを学ぶ日々です。日常に起こる小さな色々の中で、それは実際どんなことか。
例えば、上の文章を書く前は恐れで捕らわれてしまっていました。そこから主を思い、御言葉を思い、逃げ込むべき方向に向き始めます。が、これを書いた時点では、まだ頭の操作が70%ぐらいかな、世のものでない平安はまだ味わっていません。
ここから、ですね。真理を、主の真実を信頼して、頭の操作を止めて、主を待つ。私を恐れから助け出してくださるのは主。主が(あるいは蒔かれた御言葉が)内側で甦りの力を持って働いてくださるのを待つ。ここまで来れたら勝利。主にバトンタッチしたわけです。すでに内側の状態は変化し始めています。こうして心の中に一つの小さな奇跡が起こります。
嬉しい学びです。*^^*
アーメン、アーメン!
返信削除主の学びは本当に日々、、一足一足ですね
あぁ、同じこの幸いな学びの中に置かれ、共有する恵みまで備えてくださった主は素晴らしい方!
今「無名の巡礼者」という古書を読み始めています。
まさに姉妹が今日書いてくださったような証のように具体的なことに触れています。
祈りについての深い飢え渇きの中で旅を続け、
祈りを通して主に触れていく様が本当に詳細にまで書かれている本です。
深く引き込まれています。
この、自分のわざをやめて主に依存するという幸いで楽なことが、自分の魂にとっていかに不自然であるかに気付かされています。
返信削除あんなに主の働かれるのを見ていたパウロが最後まで捕らえようとして走っていたことを考えると、生きている限り「さらに死に留まり復活を知る」追求は終わらないようですね。
真実な主が学びを導いてくださっていることを感謝します。
新しい(古い^^)本のこと、また交わってくださいね。
emiさん どうもです。
返信削除>自分のわざをやめて主に依存するという幸いで楽なことが、自分の魂にとっていかに不自然であるかに気付かされています。
これ
実感がこもっていますね。
自分の魂にとっては不自然なところが
ミソですよね。^^
ゆっこさん、どうもです♪
返信削除そう、気付くと自分で何かやり始めてますね。
ああ、これじゃだめだ、とか。
それから、「お!違う!」と^^
今日読んでいた本に、「優しい主」とか、「神の御前にいるときの安らぎ」とかいう表現が出てきてホクホクしていました。
このお方をもっともっと味わいたいですね。