
もしおまえがたましいのうちに勝利を得たいと思うならば、またほかの人が勝利者になるよう助けたいと思うならば、目に見えるもの、体に感じられるものに支配されることを拒否しなければならない。目に見えない世界がおまえの前に開けてくるまで、目に見える世界をしっかりと見据えなければならない。これは山に登るよりも困難なことだ。事実それは、卑劣なたましいがはいつくばっている深淵の底からよじ登ること、そして陽光降り注ぐ高地を歩くことにほかならない。
おまえが今見るよりもなお単調な水の流れと、なお暗い岸辺の、そのかなたを望み見た人がいた。その人の言葉を味わいつつ生きることだ。彼はこう言った。
おまえが今見るよりもなお単調な水の流れと、なお暗い岸辺の、そのかなたを望み見た人がいた。その人の言葉を味わいつつ生きることだ。彼はこう言った。
「今の時の軽い患難は、わたしたちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」
おまえの主の恵みに頼り、この言葉の精神に従って生きなさい。そこには永遠なるものの本質があるからだ。神の御旨についはこう言いなさい-「御旨を行うことがわたしの願いです」。陰うつな薄暗がりを通り抜けて、その暗さに負けることなく、またほかの人を陰うつにすることもなく、進むのだ。天からの助けはすべておまえのもの、おまえがこの道を進むことができるよう、力が与えられる。たった一つでもいい。神の約束を取り上げ、それに精いっぱいおすがりするのだ。
すると間もなく、というよりも思いがけなくすぐに、おまえは主を讃えて歌い始めることだろう。主は大きな愛を、おまえに注いでくださるからだ。
(エミー・カーマイケル著 「やすらぎへの道」より)
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