2009年7月9日木曜日

交わりの断片


十字架という土台  主を向いてただ存在していればよい、ということ 

第一に主に頼った上で、他者にも自分を委ねられる祝福  キリストの香り

主にある出会いの尊さ  行動してみて違ったら主は閉ざしてくださるから大丈夫

折り返し地点  自分への主の導きが、相手の祈りへの主の応えかもしれない

十字架を経験し主を知れば知るほど、主に仕えたくなるよね  慰めの連鎖

どんどん単純になっていくこと  主への信頼  

表情に表れる楽になったという確かな変化…お肌のハリは作れても、表情は作れないよ

誰でもどんな状況にあっても、大事なことは同じ…その1日を主と共に生きること

主は私たちが絶えられない苦しみは与えられない

感謝  感謝  感謝


おまけ:主人達へのお土産には、なだ万のお弁当&お惣菜が ◎

2 件のコメント:

  1. 愛知県のさっちゃん2009年7月10日 7:00

    なだ万おいしいですよね、ショッピングのついでに買い求めることよくあります。
    煮物もおいしいですし☆°+(*´∀`)b°+°


    >十字架という土台  主を向いてただ存在していればよい、ということ 

    アーメンです

    十字架という土台、主に向いて・・、ここ、みそですよね。

    主に向くなら覆いは取り除かれる。
    しかし、多くの場合、主に向いているようで、その実際は主以外のものに向けられている。
     向いていると、思っている。。だけで、その実、向いていない。

     しかし、それすらも、わからない。

     本当に覆いがかかっている。

    十字架こそ、鍵 すべてはここから。

     「まことに、あなたを待ち望む者は
      誰も恥を見ません。」

      「あなたは、わたしが主であることを知る。私を待ち望む者は恥を見ることがない。」

     「幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」

       アーメン、ハレルヤ

     私は私の愛する姉妹のため、いえ、愛する主の御名のために、主を待ち望んでいます。
    あなたは真実をもって答えてくださる方。
    「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩、わが救い。」
     アーメン

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  2. さっちゃん、おはよう *^^*

    十字架を越えたところにある真の喜び…主ご自身を喜ぶこと。

    その実はやはり「変化」だと思います。

    真に主に向いていれば、主の知識は雪だるま式に増えて行くから、その変化もまた続く。

    さっちゃんがブログに書かれていた2コリント1章の慰めの個所、W姉妹との交わりでも話していたところです。

    主の慰めを受けた人からは慰めが溢れます。
    慰めは力。感謝です。

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