
信仰は信仰を呼びます。いのちが働くのでしょう。
交わりが交わりの機能を果たすとき、つまり、一人に働いておられる主を見せられるとき、つまり…その人が頑張っているわけではないのに実(御霊の実)の表れを見るとき、いのちを受け取る。そんな経験をしています。
励まされました。いつの間にか平安に満たされています。証のパワーですね。
主を待ち望んでいたら、思いがけない方角からそれはやってきました。
今、主は御体を通して働いておられます。
豊かな交わりを、主に感謝します。
「十字架に留まり死のパワーに共に預からせていただきましょう。」
[死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。]
返信削除2cor 4:12
のお言葉が流れてきています。
十字架の死、イエスの贖いによってその棘が完全に抜かれているということが、どのようなことなのか、イエスの中で見、共に味わっているその経験の中に招き入れてくださった。
なんという主の憐れみでしょう。
十字架のに隠された主の栄光が闇の中に輝いている。私たちの思いを超えて主のいのちが働いている。
ただ主を褒め称えます!
わが主、わが神
心が震えるほど、あなたを慕い求めます
様々なことを通して、主は私たちをお心の中心へと導いてくださいますね。
返信削除十字架を負うこと、明け渡すこと、待ち望むこと…みな繋がっていますね。
>十字架に隠された主の栄光が闇の中に輝いている。
>私たちの思いを超えて主のいのちが働いている。
ただ見て畏れ驚きます。頭がついて行きません…\0/