2009年8月3日月曜日

Ever increasing Life


心は揺れ、古傷が痛み…まあ、日々いろいろあるわけですが、心の深いところにどっかり落ち着いているものがある。これはすでにいのちとなったものなのでしょう。どんな「気持ち」になっても本当は大丈夫、主は変わらない、という確信。十字架を負う度に、いのちは成長するということかな。

いつも、戻るべきところは暖かい愛の中。御父と御子との愛の交わりの中。平安と喜びが満ちている、この上なく魅力的な場所。
(バーバーさんが「主よ、もう少し待ってください。もう少しで、あなたは私を得られます。」ということを言ったのは、その自己と十字架の間だったのでしょうね。)

「私」は変わらない。これはこの滅ぶべき体にある間はどうしようもない。でも、内側で主のいのちが成長する。覆いが少~しずつ剥がされ、主の素晴らしさがもっと見えてくる。

この間の看護士さんとの会話:

私:クリスチャンなので死自体は恐くないんだけど、辛い治療とか、体が内側から壊れていくのは恐い。だけど、ある時、あ、大丈夫だ。私はそっちに向かわない、って思った。この間の結果がわかる2日前。それから悪いことを考えなくなった。それで緊張とか恐れとかがなくなって、首のコリもなくなってきたの。

看護士さん:それって、何かがあったの?

私:う~ん。説明が難しいけど…

看護士さん:へえ~…そうなんだ。

私:さてさて、どうなりますか^^

ほとんど毎日注射をしてもらい、3分ぐらいおしゃべりをする看護士のHさん。体の調子、お天気のこと、ランチの美味しいお店の話、家事のこと、猫のこと。でも私からこういう「妙な^^」話は始めて。。。

この変わらない平安、自分の中にある動かない信仰…これは私自身のものではない。
人の中にいるときには十字架の死がどう働くのか。次はどんな信仰が与えられるのか。どんな恵みを味わうのか…

主にあって、一歩一歩が未踏の地。

*骨の痛みが減ってきています。鎮痛剤を飲む回数が1日1回で済んでる。体力も少しずつアップ中です。

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