そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。
(2歴代誌16:7-9)
十字架のパターン。9節は最近心にある御言葉ですが、その前の部分で、主と心が全く一つになるとは何かがわかります。
自分の力で戦おうとしたり、他の誰かにたよったり…主ではないリソースに拠り頼むとき、私たちは勝利を得ることはできません。勝いは主のもの。主は私たちが全面的に主に拠り頼むことを願われ、それをとおして御力をあらわしてくださる。
問題がどんなに大きく困難に見えても、勝利はすでに主のもとにあって、私たちが主の良き御心を信じ、その中に休むなら、その勝利を味わうことになるでしょう。
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聖書は中心も十字架だし、最初から最後まで十字架が隠されている。主の十字架と人が負うべき十字架、与えられる信仰。それを通して働かれる主。このパターンを拾いつつ、御言葉をおさらいしたい。集中力のない夏は難しいけど、涼しくなってくるのを楽しみに。
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