2009年9月12日土曜日

愛を知ることを求めよ


咳と息苦しさで、何だか1日中、たくさん走った後のような状態。咳は麻痺した側の気道に唾が流れ込むせい。誤飲から起こる肺炎は命に関わるので、咳は私の命を守ってくれているわけ。咳だけ止めるというわけにはいかない。麻痺が治らない以上、こういう状態は生きている間ずうっと続くということ…? それを考えると途方に暮れる。

なかなか静まれない、物事に集中できない。とは言え、これは表層のこと。ときどきポッと楽になると、心の奥は平安が満ちているのがわかる。

今日、ある姉妹が郵送してくださったものを読み、私たちがすべきことはただ主の愛を知ることである、というところに当然のように行き着いた。
神は愛である。その愛を知ることは、主を知ること。主の愛の深さ、高さ、広さを知ることで、私たちはその愛に満たされ、それによって解放され、心は癒され、従うことも、すべてを手放すことも自然にできるようになる。これがいのち。私たちは主が流れるための基であり、主の愛に満ち溢れてそこに存在していれば、その愛は必ず回りに影響し始める。

主の愛をさらにさらに知ることを求めること。それなら、今の私でもできる。大事なことは多くはない。本当に主が与えたいものを、ピンポイントで求めたいと思う。そしてそれは主の御心であるから、求めさえすれば確実に与えられる。この単純さが何とも嬉しい。

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