2009年10月11日日曜日

思い巡らしていること…「休み」「安息」について

最近の自分の状態は、主の愛に触れるほどに心は満足し幸せで、一方、体は病気のいろいろでしんどい。ああ、もう休んでいいわ、みたいな。。。 でも、こんなところで満足していて良いのだろうか。これは何だろうとかつらつら思っていて、思い出したのが、以前読んだC.S.ルイスの「天国と地獄の離婚」の天国の描写。英語で辞書も引かずに読んでいたのでクリアでないのだけれど、尖がった水晶で埋め尽くされた天のガラスの海(?)の上を、ハイエネルギーで巨大な天使たちが走り回っているというイメージ。あれはとてもoverwhelmingでした。

私たちが「休む」というとき、「活動の停止」または「活動の減少」を考えるのだけれど、エデンの園で人が主が園のすべてを治めていたことを考えても、天で私たちが主と共にすべて(すべて!です)を支配することを考えても、「停止」や「減少」では全くないことは明らか。ということは、主が意味する「安息」とか「休み」というのは、私たちのエネルギーが増えること。そして疲れなくなること。「天国と地獄の離婚」はもう一度日本語で読んでみようと思い、注文したところ。


ウォッチマン・ニーの著書の中に、エデンの園で人が罪を犯した際に失ったものに、人が本来持っていた、今の私たちから見れば超自然的なパワーがあることを書いていました。すべての動物に名前をつけ、園のすべてを把握し、管理していた。これはすごいこと。その力は罪を犯して後、人の内側に閉じ込められてしまった、と。だから労働が苦労になってしまったのですね。


まあ、とりあえず今朝は、私たちが思う「休み」と主のそれとはとても違っているということだけ。私的には、いわゆる「休み」ではなくて、「元気」を求め続けましょう。
Never give up!!

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今日は東のほうの温泉へ。

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