2009年10月10日土曜日

feeling better

ちょっと気分の良い朝です。目覚ましをかけわすれたので、今朝は7時半ごろまで熟睡。不調があってもしっかり眠れているのが感謝。きのうとどいたアロマオイルを入れられる卓上加湿器も良かったみたい。昨夜はラベンダーにしてみました。
黒糖をたっぷり入れたミルクティーと、主人が今朝買って来てくれたコンビ二の鮭いくらのおにぎりで朝ご飯。さて、土曜日ですね。

導かれて癒しについて学び始め、病気の進行があるので、半分「必死」、半分はこの新たに学ぶ真理を楽しんでいる、というところ。主が成してくださったことをより良く知ることで、慈しみと憐れみに満ちた主に触れる。これは本当に嬉しいことです。
癒しについて…他の恵みもそうですが…主の側ではすでにわざを完了しておられ、与えるための準備はすべて整っている。つまり、受けるかどうかはこちらの問題なのだというのは大きな発見です。コリンは、「なぜ皆が癒されないのか。」という問いは、「なぜ皆が救われないのか。」という問いと同じだ、と書いていました。そう、こちらの信仰の問題。

世で受けられなくても新しい体が与えられるという希望があるので、最悪は全く最悪ではない、という安心感もある上でのこと。
病気や怪我などは多かれ少なかれ誰もが経験するものであるゆえ、関心も高いのでは。癒しについてはこれまで私たちの間ではあまり語られてこなかったこと。これを読んでくださっている皆さんにも学びつづけてほしい(主に求めつづけてほしい)テーマであります。これから先、いのちの成長、御体の成長と共に、多くの癒しがあることを信じます。主は十字架を通してすべての病に勝利してくださったわけで、病気が主の御心であるはずがありません。もちろん、主は敵にそれを許し、それを用いられます。が、だからといって主は人が病気で苦しむことを決して願っておられないのです。

主に求め、今は御言葉を待ち望んでいるところです。症状があると「もうあれもできないなあ・・・」とか自動的に考えているので、まだ「得た」という信仰はないのであります。 
(そういう思いは蹴っ飛ばし、不信仰を悔い改めつつ)とにかく死にとどまり、御言葉を食しつつ、主を待ち望みます。

病にある皆さんや皆さんの愛する方たちに、主の良き御心が成就しますように。

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