2009年10月15日木曜日

主の十字架と私たちの癒し


主が鞭打たれたとき、それによって私たちが癒されるということをご存知でした。それは御父の御心でした。 本の最初のほうに戻りますが、心に深いimpactを与えられた箇所をお分かちしたいと思います。

 彼が十字架に行ったとき、イエスは私たちの罪のために死なれたばかりでなく、私たちの病気、弱さ、嘆きそして悲しみをもになわれたのです。

「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるにわれわれは思った、彼は打たれ、傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ」(イザヤ53:4-5)

イエスがローマの兵士による激しい鞭打ちを耐えられたとき、私たちのすべての肉体的苦痛と病が彼の上にすべておかれたのです。彼は決して罪を犯しませんでしたし、病にもかかりませんでした。それはあたかも鞭の一振りが癌であり、もう一振りが骨の病、他の一振りが心臓病、などなどといった感じです。すべての肉体的苦痛を生じさせるものは、イエスの手と足に釘が打ち込まれたとき、彼の上におかれました。彼の傷によって私たちは癒されたのです。
 癒しを生み出すのはその鞭打ちではなく、天の父がすべての病をご自身のひとり子の上におかれたすべてのことから私たちが自由とされるためです。
 カルバリへとイエスが連行されるとき、彼はその丘まで十字架を運ぶことができなかったことは疑いの余地がありません。その木の十字架を他の者がかついだことは重要です。イエスはその丘を登る際、木の棒などよりももっと重要な意味のある重荷を負っていたのです。彼は裏切り、失敗、精神的苦悩、拒絶、不正、侮辱、罪定め、そして人類のすべての罪を運んでいたのです。彼は神の民のすべての嘆きと悲しみ、すべての痛みと病をになっていたのです。それは彼らがそれらのものから解放されるためなのです。その木を他の人に負わせ、ご自身はあなたと私を背負われたのです。

 イエスの傷によってあなたは癒されました。
 彼はあなたの必要とするすべてを、あなたをそれから解放するために、ご自身の上におかれました。
 彼はすべてをはぎ取られ、貧困さえも十字架上へもたらしました。

(コリン)

ただ感謝します。

2 件のコメント:

  1. さっちゃん2009年10月16日 0:04

    今日はお疲れ様でした+.(´∀`*).+゚.

    どうぞぐっすり眠れますように・・・

    今日の疲れが癒されますように・・・

    主の御手の中で♪

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  2. さっちゃん、ありがとう!

    疲れにゾメタ(骨を補強する点滴)の副作用も重なっていたのでしょう。
    少しずつ回復してきている感じ。

    嬉しい繋がりができていることを喜んでいます *^^*

    主を知るための新しい一週間、主のうちにある幸いを噛みしめつつ…

    Bless you!!

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