手を置くこと
もしあなたが手を置いてもらうときには、その瞬間にあなたの問題に対する答えを得たと信じなさい。…あなたがそれを得たと信じれば、その通りになります。これはイエスのお約束です。信者が信じるとき、彼は得るのです。
あなたが誰かに手を置くときは、その瞬間にイエスがご自身の癒しの命をその人に注いで下さったと信じなさい。それはあなたが彼の権威とともに、その御名によって祈り、御言葉に忠実であるがゆえにです。神があなたを用いられたと信じることをためらってはなりません。最初あなたは信仰においてためらいがあるかも知れませんが、あなたが神の言葉を取ることによって整えられるにつれて、信者が病人の上に手を置けば「彼らは癒される」(マルコ16:18)ことを見い出すようになります。
しかしこのことを信仰が欠落した単なる手続きにしてはなりません。準備が必要です。最初に神のみもとに行き、赦しを受けます。信仰と共に御言葉を受け、山に向かって語ります。そして祈ったならば、神の癒しの働きと力が解放されたことを信じるのです。
繰り返しますが、手を置くことを単なる機械的な行為にしてはなりません。そうすればほとんど何も起きないでしょう。それは主を栄光化することでもなく、またそれに携わった人々に対しても、「何も起きない」ことは決して益になることではありません。それは神の御力が超自然的に働いているという本当の信仰が欠如しているからです。
信者が信じるとき、信者は得ます。
「彼らが病人に手をおけば、癒される」(マルコ16:18)。
(コリン)
実際の癒しをたくさん見ている人の信仰の言葉ですね。 御言葉そのまま…単純で力強いです。
私たちが信じるとき、私たちは得ます!
私たちが病人に手をおけば、彼らは癒されます!
主に感謝します。
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