何のmovementもない、と感じることがある。主は何もしておられない、と。
それは、こちら側のせっかちさや、注意して物事を見ていないせい。
主は休むことがない。
そのことを、時として主ご自身が見えるかたちで教えてくださる。
最近のこと…飲んでいた健康補助飲料がなくなりそうなので、サイトから次を買おうと思ったのに、なぜか注文の画面がうまく進まなかったので、一旦ギブアップ。2日後、ある友人が渡したいものがあるというので会ったら、他の種類のものをたくさん持ってきてくれた、とか、
そう、この間はちこさんがコーヒーを送ってくださったのだけれど、久しぶりにコーヒーが飲みたくなり家のを飲もうと思ったら、古くなっていたので捨てた直後だった。
おとといは、久しぶりにカナダのW姉妹と話したくて電話をしたら、あなたのことがここ2週間いつもより心にあって主と話していた。電話しようか、メールを書こうかと思っていた、と。
ローマ8:26
同様に、その霊もまた一緒になって私たちの無力症(或いは、病気)
と対抗している、なぜなら、私たちは、私たちにとって必要なように祈る
ことを知らず、むしろその霊自身が言いようもない呻きによってとりなしている
確かに、この聖句にはっきりと書いてある。
義なるイエスキリスト(パラクレートス)が私たちの病をともに負いながら、
私たちのために祈り、とりなしをして下さっている
と。
これが事実であり、実際なのだ。絵空事ではない。
(MKさんのブログより)
主のmovementがないときなんてない。主は決して休まれることなく、私たち一人一人のために行動しておられる。
こんなことまで…?という配慮。あまりにも自然なので、私たちが気付かないだけ。
主は私たちの祈りを覚え、さらにとりなしてくださっている。
どうなるのが良いのかさえ、私たちにはわからないのだけれど、主は私たちの思いをはるかに超え、ベストに向かって進んでおられる。
それぞれの状況の中で、それぞれの完成のために、御身体全体の益のために。
主を、そして注がれている豊かな恵みをほめたたえます。
今日は病院の日ですね。守られますように。
返信削除主の細やかな御手が心のひだに触れるような慰めを得ますね。
そんな小さな小さな出来事がいくつも重なって日々が恵みで彩られていること、なんとそのことに気がつかないで過ごしてしまっているのかと思います。
そしてどれもこれもが偶然ではなく、主の温かな「わたしはあなたと共にいる」という愛のこめられた告白であると聞こえてきます。
わたしたちを神の愛から引き離すものは何もありませんね^^
今日も主を喜びつつ♪
さっちゃん、ありがとう!
返信削除そう、私たちがどう感じようと、私たちはいつも主の愛の中。
そして、"I love you!"に触れることはまた特別ですね。
We love You, Lord!!